山の物語

山情報

安達太良山と、ほんとの空

物語の概要

高村光太郎の詩「あどけない話」には、東京で暮らす智恵子と光太郎の、短い会話が描かれています。

ある日、智恵子は光太郎に「東京には空が無い」と語り、「ほんとの空が見たい」と訴えます。光太郎が見上げると、桜の若葉の間には青空が広がっていました。しかし、それは智恵子が求めている空ではありませんでした。

智恵子が思い浮かべていたのは、故郷である福島県二本松の空です。そこには、幼い頃から見慣れていた安達太良山があり、その上には毎日のように青い空が広がっていました。

智恵子は、その安達太良山の上にある空こそが、自分にとっての「ほんとの空」なのだと語ります。

智恵子はもともと身体が丈夫ではなく、東京で暮らしながら体調を崩し、療養のため故郷へ戻ることもありました。都会での生活を続ける中でも、安達太良山とその空は、智恵子の記憶の中に残り続けていたのです。

その後、智恵子の実家は破産し、家族は離散します。さらに精神の不調も重なり、故郷は簡単には帰ることのできない場所となっていきました。

光太郎は、智恵子が安達太良山の空を求めたこの一場面を「あどけない話」として詩に残します。

安達太良山の上に広がる青い空は、こうして智恵子の「ほんとの空」として、現在まで語り継がれることになりました。

感じたこと

私はこの話を知って、智恵子にとって安達太良山の空は、ただ景色がきれいだったから大切なのではないのだと思いました。

体調を崩しながら東京で暮らしていた智恵子にとって、故郷の空は、自分が安心して呼吸できる場所を思い出させるものだったのかもしれません。

東京にも青空はあります。それでも智恵子が「東京には空が無い」と感じたのは、目の前に空が見えなかったからではなく、自分の心が求めている空ではなかったからなのでしょう。

私は山にいると、空の広さを強く感じることがあります。山頂だけではなく、登山道の途中で木々の間から空が見えただけでも、少し気持ちが軽くなることがあります。

安達太良山の上に広がる空も、智恵子にとっては、そのように心と身体を休ませてくれる空だったのだと思います。

また、いつも見ていた景色は、その場所を離れてから初めて大切さに気づくことがあります。近くにいた頃には当たり前だった山も、見えなくなると急に恋しくなるものです。

智恵子が思い続けた安達太良山も、きっとそういう山だったのでしょう。

この話には、故郷を思う気持ちだけではなく、帰りたいのに簡単には帰れない寂しさも感じます。実家がなくなり、家族も離れ離れになったことで、智恵子が知っていた故郷は少しずつ失われていきました。

それでも、安達太良山とその上の空は変わらず残っていました。

だからこそ、智恵子はその空を「ほんとの空」と呼んだのかもしれません。

私が安達太良山を歩くときには、山の姿だけではなく、その上に広がる空も大切に見たいと思います。

智恵子が見ていた空と、今の空はまったく同じではありません。それでも、同じ山を見上げることで、智恵子が故郷に感じていた懐かしさや安心を、少しだけ想像できるような気がします。

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